🔷ようやく追い風が吹いた日
— CPPとの出会いと転機 —
🌱それは、30年越しの“はじめの一歩”
MBTIという理論が形になってから、すでに数十年が経っていました。
指標は完成している。医大でも実績を残している。
けれど、それを世の中に広げてくれる“本気の協力者”には、まだ出会えていなかったのです。
イザベル・ブリッグス・マイヤーズにとって、
“MBTIを形にする”ことと、“MBTIを伝える”ことは別の挑戦でした。
彼女はかつて作家として小説や戯曲で評価を受けていましたが、
その経歴は逆に、心理学界では「専門外」として扱われ、信用に壁があったのです。
——「作家に、性格を語る資格があるのか?」
その問いが、ずっと彼女の背後に影のように付きまとっていました。
🧊肩書きの壁、評価されない中身
当時の学術界は、今よりもはるかに“肩書き主義”が色濃い時代でした。
・心理学者でなければ、心理理論は語れない
・統計家でなければ、テストの信頼性は評価されない
・女性の知的業績は「補助的役割」とみなされがち
MBTIというツールは、完成度の高い理論であるにもかかわらず、
「誰が作ったか」で、その価値を見落とされていたのです。
これは単なる偏見ではなく、“制度としての壁”だったと言えるでしょう。
それでも、イザベルはあきらめませんでした。
母キャサリンの時代から受け継がれてきた信念。
“違いは、間違いではない”
——そして、“価値あるものは必ず誰かに届く”と信じていたのです。
📘小さな出版社が信じてくれた
そして1975年、ついにその“誰か”と出会います。
それが、小さな出版社 Consulting Psychologists Press(CPP)でした。
CPPは、MBTIの中身そのものに目を向けました。
・過去の肩書きではなく、今の内容を評価した
・理論だけでなく、実用性や未来性を信じた
・「これは、多くの人を救うツールになる」と確信した
——「ようやく本気で向き合ってくれる人に出会えた」
イザベルにとって、それは30年越しの本当の出発点だったのです。
CPPはMBTIを公式カタログの中心商品として取り扱い、
その後の世界的普及に向けて、具体的な戦略と販路を築いていきました。
🔄ようやく始まった“社会との対話”
CPPとの協力によって、MBTIはようやく「実用心理学ツール」としての立ち位置を得ます。
・学術界だけでなく、教育現場や企業研修にも導入
・セラピー、カウンセリング、人材開発の分野に応用
・英語圏を中心に、書籍や認定制度が確立されていく
それまで「個人的な研究」として扱われていたMBTIが、
ようやく「社会の中で生きる理論」になったのです。
ここに至るまでに、イザベルは一度もMBTIの価値を疑わなかった。
世の中が認めるまで、ずっと信じ続けた。
——その信念が、ようやく“受け取られた”瞬間でした。
🪞今も続くCPPとの関係
2024年現在、MBTIは世界中で使われており、
CPPは名称をThe Myers-Briggs Companyへと変更し、MBTIの管理・運営を担っています。
・企業研修や採用支援
・キャリア相談や教育現場
・医療・福祉・自己理解ツールとして
MBTIは今も「人の違いを理解するための言語」として、社会に根付いているのです。
🔚“人の価値”を見てくれる人は、必ずいる
MBTIが世に出るまで、イザベルは何度も拒絶され、軽視されてきました。
けれど彼女が諦めなかったのは、「きっといつか、分かってくれる人がいる」と信じていたから。
——人の価値を「中身」で見てくれる誰か。
そしてそれは、あなた自身にも言えることかもしれません。
次回、第13話では、イザベルが最後に命をかけて残した“集大成の書”へと歩を進めます。
病と闘いながら綴られた『Gifts Differing』執筆の記録。
MBTIが“思想”となった瞬間の物語です。