🔷認めてほしかっただけなのに
― それでも彼女は立ち止まらなかった ―
🌱追い風に見えたものが、向かい風に変わるとき
MBTI初期バージョン「Form A」の完成後、
イザベル・ブリッグス・マイヤーズは医大での導入実績を重ね、ついに注目を集め始めていました。
そして1957年、彼女のもとに届いたのは、心理測定の権威ETS(Educational Testing Service)からの正式な契約の話。
「ようやく、認められたかもしれない」
——それは、長年積み重ねてきた努力が報われた瞬間のように見えました。
しかし、この出会いはやがて、彼女に新たな試練を与えることになります。
🧊冷たい視線と“肩書きの壁”
イザベルはETSの研究チームに加わり、MBTIの改良と検証に参加します。
専門家たちの前でプレゼンテーションを行い、その熱意と実績は一定の評価を受けました。
しかし——
「心理学者でも統計家でもない“素人の女性”が作ったテスト」という偏見は、簡単には消えなかったのです。
・会議で発言しても、取り合ってもらえない
・資料を提出しても、まともに読まれない
・表立って否定はされないが、どこか軽く見られる空気
「何を言うか」ではなく「誰が言うか」で扱われる。
——それが“肩書き社会”の現実でした。
イザベルの理論は、人を“違い”で判断しない世界を目指していたにもかかわらず、
自らがその“偏見”の対象となってしまったのです。
👩👧母から受け継がれた“痛み”と決意
この理不尽さに、イザベルの心は深く傷つきました。
けれど、その感情には覚えがありました。
——それは、母キャサリンもかつて味わっていた痛み。
19世紀末、学問を志す女性がどれほど孤独で、軽んじられたか。
いくら洞察に満ちた研究をしても、「主婦が何を語る」と相手にされなかった現実。
そしてそれでも、キャサリンは「人を理解する道具」としてタイプ論を諦めなかった。
イザベルは思います。
「私は、母の意思を受け継いでいるんだ」
「そして、誰もが“そのままで”受け入れられる世界を作りたい」
それは、単なる研究や理論ではなく、
人生そのものをかけた“証明”でもありました。
💡光はまだ絶えない
ETSとの契約は形骸化していきました。
研究の進展も止まり、チームからも次第に距離を置かれるようになっていきます。
しかしイザベルは、立ち止まりませんでした。
彼女の原動力は、「認められたい」という承認欲求ではなく、
「人が互いを理解し合う世界をつくりたい」という切実な願いだったからです。
「もし、私の志を理解し、共に歩んでくれる存在がいるなら——」
その祈りにも似た思いは、やがて小さな出版社との運命的な出会いを引き寄せることになります。
🪞現代に通じる“見えない壁”
イザベルが直面した「学歴・肩書きの壁」は、
現代のあらゆる分野にも、今なお存在しています。
・専門家でなければ発言しにくい空気
・過去の経歴によって評価が決まる仕組み
・“女性だから”という無意識の偏見
MBTIが伝えているのは、そんな壁を壊すための「理解の言語」でもあるのです。
🔚「違うからこそ、意味がある」
MBTIの本質は、「人を4文字で分類すること」ではありません。
それはむしろ、「分類されてきた人たち」の声をすくい上げるために生まれた思想です。
「違いは、間違いじゃない」
——その言葉は、イザベルが自らに言い聞かせ、
そしてこれから出会うすべての人に向けて伝えたメッセージでもありました。
次回は、ようやく理解者と出会い、MBTIが真に“世に出る”ことになる希望の物語です。
小さな出版社、CPPとの出会いが、すべてを変えていきます。