🔷失敗から始まったMBTI
──「知的な挑戦が、世界を変える始まりだった」
🌍 導入:平凡な日常に、使命の種が落ちた
1940年代初頭。
世界は第二次世界大戦の渦中にあり、アメリカ社会も緊張と混乱に包まれていました。
イザベル・ブリッグス・マイヤーズの子どもたちはすでに成長し、家庭には新たな余白が生まれていました。
戦争の中で多くの人々が「自分にできること」を模索する中、
イザベルもまた「社会の役に立ちたい」と強く感じていました。
ただし彼女が求めていたのは、手を動かす奉仕活動ではなく、
“知的好奇心”を燃やせる領域での貢献だったのです。
📰一つの記事が運命を変えた
ある日、彼女の目に飛び込んできたのは、雑誌に掲載されていた心理テストの紹介記事でした。
それは「ハム=ワズワース気質尺度(Humm-Wadsworth Temperament Scale)」という、
当時使われていた気質測定のツールでした。
「人の性格を測定し、それに合った職業へ導く」
——この発想に、イザベルは大きな可能性を感じました。
すぐに母・キャサリンに手紙を送り、こう綴ります。
「この考え方なら、人をもっと活かせるかもしれない!」
——この瞬間が、MBTIの誕生につながる第一歩となったのです。
🧪期待と挫折、そして“あの一言”
イザベルはさっそく、ハム=ワズワース尺度を導入していた企業の人事部門に志願。
実際に現場で測定手法を学び、自らもデータ収集を行いました。
しかし結果は、彼女の期待を裏切るものでした。
・測定結果と職務適性が一致しない
・数値だけでは、その人の本質が見えてこない
「これでは、本当に人を活かすことにはならない……」
——イザベルは深く落胆し、その思いをキャサリンに報告します。
すると、母は静かにこう語りかけました。
「あなたがやるべきなのは、他人の理論を使うことではないわ」
「私たちが研究してきた“性格タイプ”をもとに、新しい指標を作ってみてはどうかしら?」
✍“MBTI”という名の地図が描かれ始めた
その提案に、イザベルは迷うことなく応じました。
子どもたちはすでに大学生となり、自身の時間と集中力をフルに注げる環境が整っていたのです。
母キャサリンが長年にわたって観察と記録を重ねてきたタイプ論。
その土台の上に、イザベルは“質問紙(インジケーター)”という新しい形式で、
性格の違いを測る方法を作り上げていきます。
・数百におよぶ設問を作成
・実際の学生、軍関係者、友人などに配布し、反応を収集
・統計的に意味のある項目だけを厳選し、172問に整理
こうして完成したのが、MBTI最初の正式版「Form A」でした。
📈広がり始めた“タイプの地図”
1945年、戦争が終結に向かう中で、イザベルは経営コンサルタントと契約し、
MBTIをビジネスの現場に導入します。
さらに、父ライマン・ブリッグスの協力を得て、ジョージ・ワシントン大学医学部での採用も決定。
この成功をきっかけに、他の医大とも契約を結び、数年間で数千人以上の医学生にMBTIを提供するまでになります。
「心理学者ではない一人の女性」が、“人間理解のための地図”を描き始めた瞬間でした。
🪞現代に続くMBTIの“質問紙形式”の原点
今日私たちが「MBTI診断」と呼んでいるものは、
このときイザベルが手作業で作成し、統計処理まで行った“質問紙”にルーツがあります。
・タイプを固定するためのツールではなく、
・違いを理解し、活かすためのナビゲーションマップ
それがMBTIの原点であり、今も変わらない使命です。
🔚失敗から始まった、世界を変える挑戦
MBTIは、「他人の理論を使う」失敗から始まりました。
しかしその挫折があったからこそ、イザベル自身の視点と人生経験が活かされる形で、新しい理論が芽を出したのです。
次回は、ようやく広がりを見せ始めたMBTIが、学術界と“衝突”することになる第11話。
そこで浮かび上がるのは、女性研究者としての孤独と、そして信念の強さです。