🔷違う道を歩んだ娘
──「私は、私の人生を生きる」
🌱母の背中と、娘の選択
キャサリン・クック・ブリッグスがユングの理論に出会い、研究と実践に没頭していた頃、
その傍らには、一人の少女が静かに母の姿を見つめていました。
——娘、イザベル・ブリッグス・マイヤーズ。
彼女はやがて、MBTIを実際の“形”にしていく中心人物になりますが、
そこに至る道は、母と同じではありませんでした。
「私には、私の人生がある」
——それは“反発”ではなく、“自分らしさ”を選んだ結果でした。
💍結婚、そして家庭という舞台へ
イザベルは大学で出会った男性、クラレンス・“チーフ”・マイヤーズと恋に落ち、結婚します。
二人の子どもに恵まれ、イザベルは“妻”として、“母”としての日々に忙しくなっていきました。
一方で、母キャサリンは、娘にも性格タイプ理論への関心を持ってほしいと願い、何度も語りかけていましたが……
「心理学?ちょっと私には難しいわ」
——イザベルにとって、当時の母の世界はどこか遠く感じられていたのです。
彼女は“自分の舞台”を、創作の世界に見出していました。
✒小説というもうひとつの人生
育児の合間に、イザベルは文章を書くことに没頭します。
物語を綴ることは、彼女にとって“自由”であり“表現”であり、何より心を解き放つ手段でした。
そしてある日、試しに応募したミステリー小説のコンテストで、見事に賞を受賞。
その後も短編や戯曲などで実績を積み重ね、作家としての人生を歩み始めます。
「言葉で人間を描く」
——それは、彼女なりの“人を理解したい”という願いの表れでもありました。
しかし、内心では気づき始めていたのです。
どれだけ巧みに描いても、“人間”は簡単に理解できるものではない、と。
🧩遠くにあって、でも確かに近づいていたもの
当時のイザベルは、まだMBTIに携わることになるとは思っていませんでした。
キャサリンが情熱を注ぐ“タイプ論”には、明確な関心を持っていなかったのです。
けれども彼女は、誰よりも「人の違い」に敏感な女性でした。
- 夫チーフとの考え方の違い
- 子どもたち一人ひとりの個性
- 会話のすれ違いの中に見える“世界の見え方の違い”
「私とあなたは違う。けれど、それは間違いじゃない」
——そう気づけるまでには、経験という“実感”が必要だったのです。
🧒“学者”ではなかったからこその視点
イザベルは心理学の専門教育を受けたわけではありません。
彼女は学者ではなく、“生活者”でした。
だからこそ、性格理論を“人々の言葉”で伝える力を持っていたのです。
後にMBTIを開発していく際、彼女は学術用語を使わず、
日常生活の中で誰でも理解できる「質問紙」という形で表現しました。
この“やわらかさ”こそ、MBTIがここまで広がった最大の理由のひとつです。
🔚母とは違う道を歩いたからこそ
イザベルは、母キャサリンとは異なる人生を歩みました。
しかしそれは、MBTIという“理解の道具”に命を吹き込むための、大切なプロセスだったのです。
「人は、違うからこそ補い合える」
彼女自身の結婚生活、育児、創作という経験のすべてが、MBTIの実用的な側面を決定づけていきます。
次回は、イザベルが失敗と挫折をきっかけに、ついにMBTIの開発へと踏み出す物語。
「世界を変える一歩」は、ある心理テストとの出会いから始まりました。