🌍家庭か、学問か──その“どちらでもない”選択
20世紀初頭のアメリカ。
女性が「母」として家庭に入ることが当然とされていた時代。
「学問を続けると出産に悪影響がある」
そんな医学的とも宗教的ともつかない価値観が、常識としてまかり通っていました。
それでもキャサリン・クック・ブリッグスは、そのどちらにも屈しませんでした。
「学びたい。でも、家庭も大切にしたい」
そのどちらも選び、どちらも手放さなかったのです。
🧠研究の舞台は“家庭”だった
キャサリンは農業の学位を取得したのち、教師として働き、
やがて物理学者ライマン・ブリッグスと結婚。
娘イザベルが誕生すると、彼女の研究のフィールドは“家庭”へと移っていきます。
彼女は育児を単なる日常の一部ではなく、観察と思索の宝庫と見ていました。
- 子どもはどうやって興味を持つのか?
- 学ぶとはどんなプロセスなのか?
- 一人ひとりの個性はどこから生まれるのか?
彼女にとって、イザベルの成長そのものが「心理学的研究対象」だったのです。
しかしそれは決して冷たい観察ではありませんでした。
彼女の視線には、深い愛情と信頼があふれていました。
「教育とは、子どもの内にある力を引き出すこと」
その信念のもと、彼女は“教える”のではなく“見守る”教育を選びます。
✍小説の違和感から生まれた疑問
キャサリンは母であると同時に、“物語を紡ぐ人”でもありました。
家庭の中で執筆活動を続け、小説や随筆に取り組みながら、
人間の性格や行動を描く中で、ふとある違和感を抱きます。
「登場人物たちが、どこか嘘くさい…なぜだろう?」
どんなに技巧を凝らしても、人間の“真の違い”が描けていない。
その違和感は、やがてひとつの問いに変わっていきました。
「人は、なぜこんなにも“違う”のか?」
「その違いを、言葉にすることはできないのか?」
この問いが、彼女を性格理論の探求へと導いていくのです。
🪞“家庭”と“探究”は矛盾しない
キャサリンは、母であることと研究者であることを、どちらも諦めませんでした。
当時の社会において、それは非常に異例なことでした。
- 女性が知性を追求すること
- 母親が子どもの内面に探究心を向けること
- 教育と心理学が“愛”をもって交差すること
そのすべてが、彼女の中では自然につながっていたのです。
そしてこの視点こそが、後に娘イザベルへと受け継がれ、
MBTIの「あたたかく、現実に根ざした理論」を形づくっていきます。
🔚愛することと、知ろうとすることは、同じだった
キャサリン・ブリッグスにとって、
“人を理解する”という行為は、決して頭だけの作業ではありませんでした。
それは、愛することの一部だったのです。
- 子どもの個性を知りたい
- 登場人物にもっとリアリティを持たせたい
- 他人との違いを受け入れたい
そのすべてが、「知ること」と「育てること」の交差点にありました。
次回は、そんなキャサリンが「どうしても出会えなかった理論」を自ら生み出そうとした日々、
そしてついにユングの『タイプ論』と運命的に出会う瞬間を描きます。
“知る”ことは、“愛する”ことのはじまり──
それは、MBTIの根にあるもっとも大切な哲学でした。